「クロードと一緒に」感想ー愛に生きる物語

 

こんにちは。今回は、標記の舞台についてです。

 前回の感想から一年弱も間が空いたのは、はてなブログの使い方が未だによく分からないからです…。装飾など難しいね。

それでは、以下より書き始めていきます。

 

◯はじめに

 さて、本題を述べる前に断っておきたいのですが、以下で使う引用は、私の記憶に因るものであるため、多くは表現が誤っていると思いますが、ご了承ください。尚、登場人物の表記として、引用部分を除き、Blancチームにおける松田凌さん演じる男娼の少年を「彼」、亡くなった青年を「クロード」とすることにしています。

 

 私は2019年4月20日に「Being at home with Claude 〜クロードと一緒に」*1を観劇しました。この舞台は御周知のとおり、1985年にモントリオールで上演をされて以来、何度も再演が行われています。日本の初演は2014年。2015年の再演では、今回も「彼」を演じた松田凌さんが演じておられます。私が松田凌さんを知って好きになったのは2014年。そして、初めて演技を実際に見たのは2015年。その時にはもう上記の再演は終わっていて、観ることはできませんでした。2016年の再演も、確か大学の授業のため行くことは出来ず、もし次に再演をしても松田凌さんの「彼」を観ることは出来ないだろうな、と思っていました。

 しかし今回なんと、4度目の上演で、松田凌さんが3回目の出演をされているというわけです。(え…控えめに言って奇跡じゃないですか?ヤバ)そういうわけで、私は初めての横浜遠征に出向いたのであります。楽しみ。

 

◯衝撃的なはじまり

 

『彼の家を出て、地下鉄に乗った。ジャリ駅から。だいたい9時ごろだったと思う。』

 

 今回の赤レンガ倉庫での舞台は、客席がステージの正面だけでなく、両側に取り囲むようになっていて、私はその三列目に腰を下ろしました。

照明が消え、突然光と共に登場人物が現れました。その瞬間、怒涛のように続く台詞が私たちを襲いました。こちらは殆ど準備もできないまま。もしあらすじを観ていない観客がいれば、状況を理解できず、混乱と衝撃の始まりになったことでしょう。私はと言うと?松田凌くんの、机の上にスニーカーを履いたまま足を乗せている姿と、照明に照らされて光る金髪と、いかにもうんざりしたように顔を手で覆う姿をを観て、めちゃくちゃ高揚しました。上手く説明はできませんが、「彼が存在している」と思ったからです。

(余談。殆ど真下から見る事ができたから、凌くん、以前にも増して顔美しすぎない?と思った。私は彼の鼻が最高に好きなんだけど、ギリシャ彫刻も顔負けだったよ)

 

 また、音響が殆どないことも、観客を舞台に引き寄せる要因の1つだったと思います。刑事が怒声を浴びせる間も私たちはそれを受け容れるしかなく、登場人物たちが話さなくなれば、沈黙の緊張感を味わうことになります。誰かが何か物音を立てれば、「彼」はぴくりと反応する。

  そうして観客を強引に舞台に引きずりこんだまま、物語は始まりました。

 

◯観客は「参加者」

 この舞台の見所は何と言っても、ラストの「彼」による40分間の独白です。(集中していると、そんなに長かったとは全然感じませんでした。しかし考えたらあの台詞量、熱量…すごいなあ)

 

 特徴的だったのは、「彼」以外の登場人物は退場し、「彼」対観客の構図になったことです。そして、「彼」は私たち観客に話しかけ、問いかけ、責め立ててきました。

 

 『あんたたちに分かるか?』

『ねえ そんなこと 感じたことある?』

『うまく伝わらないかもしれないけど』

『こういうのって何て言うんだ?あんたたちなら分かるだろ?教えろよ!』

『もう聞いてるの嫌になった?もう少しだから』

 

 私たちは尋問をしている刑事なのかもしれないし、裁判を見る聴衆なのかもしれない。確かなことは、私たちは伝えられる側であり、彼にとっては「聴き手」という存在なのだということ。

「彼」が舞台の端から端まで移動して、あるいは舞台を降りて、私たちに話しかけて、問いかける。指を指す。目線を合わせる。(少なくとも「彼」の独白が始まって以降、客席にも照明は当てられていました。舞台を挟んだ向こう側の観客の顔が見えたほどです。呆れられるかもしれませんが、私は目を合わせられて、指をさされました。三列目だからってそんな馬鹿な?私はそう感じたから良いんですよ。彼のエネルギーに息が詰まった。)

 

そうして、私たちは強制的に舞台の参加者にさせられました。自分に話しかけられているのですから、私たちは「彼」の言うことを聞いて、言葉の意味を理解しようとしなければなりません。同意もすれば、それは違うとも思うでしょう。理解ができなくて、混乱する。とにかく、そうすることで、私たちは彼の言葉を受容する人間になったのです。

 しかし、どんな考えを持ったとしても、観客である私たちはそれを「彼」に伝えることは出来ないのです。それは「彼」と「クロード」の関係性に、私たちが何の影響も及ばし得ないことを意味しているのではないかと思います。では何故、独白をしたのか?「彼」自身、クロードの死によって混乱しており、クロードとの関係を初めから語ることで、整理をしていたのかもしれない。あるいは、私たちに何かの理解や感情、承認されることを求めたのかもしれない。それでも最後には、「彼」は私たちに何も求めてはいません。

 

『もうやめるよ』

 

 突然の暗転によって、私たちと「彼」との距離は断絶して、物語は終わってしまいます。

 

◯「彼」の愛について

 

『キャンドルは好きだけど、君の顔をよく見ていたいから、電気をつけたままでいい?って言ったんだ。彼は驚いているみたいだった。僕は電気のスイッチのところに立ってた。馬鹿みたいだよね?でも僕は、気持ちが高ぶってるときは、すごく馬鹿みたいになるんだ。彼は、「君が言っていることはとても変だと思うけど、いいよ」って言った』

 

 これは、 私が大好きな台詞です。

 「彼」の独白は全て、クロードへの愛の叫びでした。クロードが彼にしてくれたこと、彼がそれらに感じたこと。それを聞いているうちに、前半で語られるような情報たち、「彼」がどこで売春をしているだとか、母親がどんな死に方をしただとか、クロードが上流階級の出身だとか、分離主義者だとか、そのような事柄は意味がないものであるように思い始めてきました。つまり、刑事たちが調べたこと、しきりに「謎だ」と言うようなことは、最早どうでもいいことなのです。(これが大学のレポートなら、調べちゃうと思うけど。)

 

『彼は一度僕に、分離主義を説こうとしたことがあるんだ。……彼がルームメイトを追い出してから、一度も話さなくなった。それから全てが完璧になった。』

『電話が鳴った。分離主義の仲間たちからだった。……彼は明日電話をすると言った。そのとき、僕は初めて、彼との関係がこのままずっと続くんじゃないかって思ったんだ。変だよね。4ヶ月も一緒にいたのに。』

 

彼らの間の障害だった、階級主義だとか、異性愛者だとか、思想だとかは、クロードが電話を切った瞬間に、違う世界のものになったんじゃないかな。

 そんなものが世間に存在していたとしても、クロードがいれば、「彼」は仰向けで眠りにつくことができるのです。

 初めは私たち観客に話していた「彼」も、次第にその目はクロードへと戻っていくように感じました。凌くんの意思の強い目が、私たちを射抜くのをやめて、愛する人に向ける目になっていく様を見ることができました。

 

『そんな時、彼は僕を強く抱きしめて、よしよしって囁くんだ。シーッて。』

 

◯「彼」がクロードを殺したのか?

 この謎は、作品内では明らかにされません。独白の中では、「ナイフが落ちてきて」という描写があります。それだけで死ぬとは思えないけれど、「彼」が切りつけたという描写はありません。でも状況だけだったら、「彼」が殺したのかなあ。

 まだ整理はできていませんが、もしそうなのであれば、クロードがその時、一番幸せだったからかな、と思います。「彼」は、男性が泣くのが嫌いで、クロードが泣いてしまうと、「どうしたらいいか分からない」と言っています。だけど、その瞬間クロードが、「喜びに泣いてた」様子を、とても満足そうに語っていました。また「彼」は、クロードとの関係を、次のように話しています。

 

『何て言ったらいいんだ?陳腐に聞こえるかもしれないけど、僕が彼で、彼が僕だった!僕は彼の片割れ、僕たちの間には何もない…そんな感じ。』

 

 「彼」とクロードの幸せは同一だったから、その時、「彼」は一番幸せで、その瞬間に死を迎えたかったのでしょうか。しかしそうなると、クロードが電話を切った瞬間、「2人の関係が続いていくと思った」気持ちはどうなるのか。また、次の台詞はどのような意味なのでしょうか。

 

『そういう瞬間って、よく、今までの人生が最初から浮かぶって言うけど、僕は逆だった。未来が見えたんだ。彼と一緒にいる未来。』(このあたりの台詞、よく覚えてないので全然違うかも)

 

『これは希望だけど、彼が死ぬ時、僕と同じものを見なかったら良かったな。』

 

「彼」にとっての幸せはクロードと同一のはずなのに、未来を見なければ良かった?それは、クロードにとって一番幸せな瞬間で死んで欲しかったからでしょうか。「彼」にとっての幸せは、クロードとの未来よりも、その瞬間だったのでしょうか。もしくは、クロードの半身として、自分の幸せを全てクロードへと捧げたのでしょうか。

 

 うーん、まだ、分からない。前半で「彼」が刑事に語ってた、「僕はずっとフェンスに座ってた」の意味や、クロードの部屋を出た後、「彼はバーにもいなかったから、広場に行ったんだ。僕が後で行くって言ってたから、僕を探してるんじゃないかと思って。」の意味や、ずっと眠り続けていた理由、「彼」が刑事に話していたことは真実なのか?まだ考えたいことがいっぱいあるんだけど…。もう一回見て、脚本を読んで、誰かと話をしたいな。

 

  「彼」とクロードの世界は、彼らにしかないものなのだから、私たちが理解をする必要はないのかもしれません。ただ、「彼」が幸せだったのなら良かったと思います。最後に流した涙は、「喜びで泣いていた」のなら良いけれど。クロードの幸せのための悲しみの涙だったなら…。「彼」を抱きしめてくれる人はもういない。*2

 

ところで、「僕が彼で、彼が僕だった」この台詞を聞いて思い出すのは2018年に見た映画「Call me by your name」だし、「片割れ」というフレーズは、「メサイアシリーズ」における「魂の半身」ではないでしょうか。だからと言って、これらが同じ分類だとか、決まった展開だとは思いません。それでもこの物語は、彼らのような繋がりを求めている人へのメッセージなのだと思います。「BANANA FISH」が2018年に、再び私たちの心を捉えたように。

 私は、人間にとっての「幸せ」や「欲望」は多様化してきている、もしくは、少しずつ、それを表出する人が増えていっている、そんな気がしています。世の中や社会、周りの人間が自分に押し付ける「幸せ」「理想」への抵抗や、私たちが求めるものは間違ったものなのか?そういった感情で生きる中で、彼らのような関係が存在することをいま、確かめたいのではないでしょうか。

 

◯終演後

 「彼」が舞台から去って、観客は誰も、言葉を発しませんでした。席を立つ人もいませんでした。しばらくして拍手が起きて、ようやく立ち上がって、震える手でアンケートを書きました。(殴り書きで感謝状みたいなものを書いちゃった。見た人恐怖だと思う。excuse moiである。)

 私は外に出て、明るすぎる日差しに照らされて、暗い劇場から「現実」に戻ってきたことを感じました。私は「彼」が言っていた、「現実に戻れる奴ら」なのです。

 

それがあることは良いことなのかもしれないけど、私はやっぱり、早く、自分自身の時間を得て、自分の好きなものや興味のあることを受容したいし、そしてできれば私も彼にとってのクロードのような存在がいればいいと思う。そんなことを考えていたら私にとっての今の仕事は、ただの「現実」だなあ。問題は、それをやめて何をしたいのか、自分でもよく分からないこと。そんなうちに時間って過ぎていくね。概ね人生は楽しく生きていることが出来ていますが。

 

松田凌くん

 今回、こんなにこの作品を考えさせてくれたのは、凌くんの演技だったからかな。彼の、「役めいた」話し方と、とても人間くさい話し方が混ざったところ、本当にその人間がいるように思わせる仕草、熱量のこもった目とか、やっぱり大好きだなと思った。あと、久しぶりに間近で見て、顔が最高〜に好きです!何回言うねんって感じやけど。ほんまに好き〜。

 

あと、時間に余裕があれば、Cyanチームも見たかった!どんな演出だったのか、良ければ教えてください。

 

 雰囲気で生きてる人間だから、観劇してから、Sufjan Stevensばっかり聴いてます。なんとなく浸れます。おすすめのアルバムは「Carrie&Lowell」ですのでどうぞよしなに。

 

そういえば私って、ケベックのこと、何も知らないな。行ってみたいな。

 

 最後に、「彼」にとっては無意味なものだけど、ただ、幸せを願って。

 

 

*1:公式サイトhttps://www.zuu24.com/withclaude2019/

*2:最後に「彼」が沈黙をして、涙を流したとき、観客のすすり泣く音が響いて、私には分からなかった。勿論、演技やエネルギーによってかもしれないけど、「彼」の感情は誰にも理解し得ないもので、観客の涙には何の意味があるんだ?と思ったから