(未完成)江國香織「きらきらひかる」を読んだ

 

 

 本は好きだけど、買っても読まない本があるし、10代の頃に読んだ本は全然覚えてない…。江國香織の作品もそのひとつ。大人になって初めて読んで、これから読み直したり、もっと読みたいと感じた。

 

以下の感想は、この作品が今自分が悩んだり考えていることに深く触れていて、何か言葉で残そうと思ったから書きました。思いついたことをあげていくだけなので、論理性はありません。引用は、江國香織きらきらひかる」(平成6年、新潮文庫)より。

 

 少し変わった夫婦のお話。笑子は少し情緒不安定で、アルコール依存気味。睦月はとても優しいお医者さん。だけど、紺という恋人がいて、ちなみに男性である。彼らは10日前に結婚した。

 

 読み始めたとき、こんな2人が何故結婚したのかなと思った。だって、一人ってとても楽しいじゃない?まして彼らはお見合いをしたとき「結婚するつもりはありません」なんて言い合ってしまっている。

 

だけど結果として彼らは結婚して、ちゃんと?と言っていいのかな、お互いを愛している。この作品を大きく占めるのは、2人のお互いへの感情と、そのすれ違い。

 

◯2人の愛情について

 

「睦月はやさしい。そうしてそれはときどきとても苦しい。」(p.21) 

「胸にわだかまった不安はどんどん喉元につきあげてきて、私はほとんど泣きだしそうだった。」(p.44)

「睦月のまっすぐな眼差しは、いつも私を悲しくさせる。」(p.53)

「睦月に対してとても残酷な気持ちになるのだ。」(p.75)

「たまらなくなって私はさえぎった。この人はどうしてこんなに善良なんだろう。」(p.80)

 

 笑子は、自分に自信が持てないのだと思う。何故こんな自分にこんな優しく、誠実でいてくれるんだろう?と考えてしまうのだ。結局、笑子は睦月を好きになってしまっていて、彼の無条件の誠実さと優しさに苦しくなっている。

 それでも、今の生活を捨てることはできない。笑子はもう睦月がいない生活は考えられないくらい彼を好きになってしまったから。それは彼を独占したいわけではなくて、紺という恋人がいる睦月ごと好きになったという気がした。苦しくなってしまう睦月の優しさが、自分にだけ向けられていないことへの安堵。紺が睦月にとって幸福を与える存在であること(自分がその役割を担っていないこと)。笑子にとってはそれで十分幸せなんだろうな。

 それでも睦月はそれを分かっていなくて、いつもすれ違ってしまう。

 

「僕はとてもほっとする。僕がでかけてるあいだ、この子は僕を待っていたわけじゃないのだ、と思う。」(p.31)

「僕は何もしてあげられないんだよ」(p.56)」

「何とか事態を好転させようとする笑子の気持ちが、僕にはひどくいたいたしかった。」(p.92)

「彼女をおいつめているのは僕なのだ、と思った。ひどくせつなかった。」(p.108)

「私は黙った。睦月がすごく悲しそうな顔をしていたのだ。悲しそうというより、痛々しいみたいな顔。たまらない、という顔。」(p.156)

 

 睦月は紺が好きだけど、笑子のことも愛しているから、恋人がいる自分が受ける、笑子からの愛を申し訳なく思っている。

 

「からだのすみずみまで清潔な水がいきわたり、指先まで健康になる気がする」(p.34)

「睦月は清潔に微笑んだ」(p.54)

「誠実、ということが、睦月にはおそろしく大事なことらしい。」(p.176)

 

「誠実」で「清潔」でいたい睦月にとって、紺と笑子、どちらも愛している自分は「不誠実」だと感じてしまうのではないだろうか。誠実でいたいのに、いられない。

 

お互いに愛しているからこそ、その感情がお互いを苦しめている。彼らはどこまでそれに気がついているのかなあ。

(それにしても・・羽根木さん(笑子の元恋人)と引き合わせた時はびっくりしたよ。ありえないでしょ。)


「睦月じゃだめなのだ。なんにもならない。私はどんどん睦月にたよってしまう。」(p.91)

 

でも、最初は「ごっこ」だった結婚も、「守りたい」ものに変わっていて、それが2人の生活の転機となった。

 

 このままでいたいのに、その気持ちは本当なんだと思う。だからこそお互いに矛盾した感情を抱えていても、小さな幸せの中にいたいのだ。

 

「不安定で、いきあたりばったりで、いつすとんと破綻するかわからない生活、お互いの愛情だけで成り立っている生活。」

 

これも3人の本心だ。

 

「どうしてこのままじゃいけないのかしら。このままでこんなに自然なのに」(p107)

「でも、変わらないわけにはいかないんだよ」(157)

 

◯「結婚する資格」って?

 

 睦月がいうそれは、セックスをしないこと。子どもを作らないこと。

私に同性愛者の気持ちは真に分からないけど、どうしても申し訳ないと思う気持ちがあるのだろう。でも、笑子ないし読者の一部にとっては、そんなことは「資格」の要素たりえないことは自明である。まさに、「頭悪いんじゃないの」である。

結婚は子どもを作るためにするものではない。子孫を残すなんて本能は、最早持ち合わせていないし、(私の場合は)一人が何よりも楽しいことを知っている。

 それでは、私に「資格」はあるのだろうか、と考えてしまう。そもそも、そんなものは存在するのだろうか。パートナーがいないことは考えられない、私にとってそんな人はまだ出会ったことがないから、また考えてみたい。

 


「たまらなかったのは、睦月と寝られないことじゃなく、平然とこんなに優しくできる睦月。水を抱く気持ちっていうのはセックスのない淋しさじゃなく、それを互いにコンプレックスにして気を使い合ってる窮屈。」

 


「結婚」とは、彼らにとって、親から感じる窮屈さ、世間体、枠組みとしての役割があると思う。だからこそ、彼らは結婚なんてするつもりはなかった。お互い、親のためだったのかもしれない。

それでは、今はお互いに愛情があるんだから、結婚していなくてもいても変わらないのか?でも私は、「結婚」という言葉には不思議な力があると思っていて、戸籍とか家のつながりとかそんなことじゃなくて、2人の人間が、生涯共にするという約束、誓いをする。そこには強い力があるなあと思う。全然論理的ではないけど。

そしてそれが、紺と笑子の違うところだ。(同性婚は今では話題だけれど…)

 


◯結末について

 関係性としては、物語の最初と変わらないように思える。私は最後のページを読んで、えっ、ここで終わるの?と思った。


 読み終わってすぐに思ったのは、結局、3人でいることが幸せなのだと再認識した、納得したのだろうなということ。まあ、実際そうなんだと思う。

 

でも、親との関係は何も解決していないので、また、同じことを繰り返すのではないか?とも思われた。彼らの結婚は、相変わらず捉えどころのない、ふわふわとしているけれど、2人とも親とのつながりを完全に断つことはできていない。自分の価値観を押し付ける親や、世間体や常識は、窮屈で逃げ出したくなるし、本当に要らないと思うけど、その中で生きてきた私たちは、簡単に捨てることもできない。当然だと思う。まして「誠実さ」を慮る睦月は、今まで従ってきた両親との断絶は困難だし、笑子に対する両親への罪悪感も消えてはいないだろう。

 

さらに、先に述べたように、2人はお互いを愛しながらも、その愛は最後まで交わっていない。お互いの感情を話し合ってもいないし、この2人の関係がこの先変化することはあるのだろうか。

 

◯登場人物の関係性について

 

笑子と睦月の将来。それには、笑子と紺の関係性が影響してくるのではないかと思う。睦月と紺、睦月と笑子は愛し合ってるように見えるけど、この2人はどうか?

 

 はじめに、笑子の紺に対する感情について。笑子は、睦月の恋人として紺を大事に思っているかもしれないけれど、紺を象徴するユッカエレファンティペスには、反抗的な気持ちを抱いているようだ。

 

「どこか挑戦的な感じがする……私は紺くんの木をにらみつけ、」(p.11)

「背中にざわざわとつめたい気配がした。ふりむかなくてもわかっている。私は木にもきこえるようにはっきりと、大きな声で言った。」(p.17)

「すぐうしろで誰かが笑ったような気がして、ふりむくとまた紺くんの木だった。私はいっぺんにかっとして、……そのいまいましい木になげつけた」(p.20)

 

 自分がこんなにも悩んでいるのに、紺は睦月に対して、絶対の存在であり、超越した存在だと感じているからではないだろうか。それは敵対心や嫉妬心というより、やはり自己嫌悪から来るものではないかなあと思う。睦月との距離がもどかしくて、情緒が不安定になって、うまくいかないことに対して、フラストレーションがたまってしまう。

 

「私、紺くんが好きよ。…紺くんが睦月の赤ちゃんうめるといいのに」(p.106)

 

笑子にとって「赤ちゃん」とは、幸せの象徴なのだろうか。親からの期待、子がいれば周りから何も言われない。睦月にとって一番の人とそうなれればいいのに、と。

 

 だけど、笑子の「睦月の人生の中で、私はどうしたって紺くんにおいつけない」という台詞は、今までとは違うように感じられた。「おいつけない」というのは、競争をしているということ。笑子はあんなにも睦月と紺の関係を尊重していたのに、紺と自分を比べている。つまり、睦月の中で自分の位置を見出したいと望んでいる。紺のようにはなれないと諦めてしまっているけど、彼女の睦月への愛情が変化している現れなのではないかなと思った。

 

「『でも、僕は男が好きなわけじゃないよ。睦月が好きなんだ。』……私は胸がざわざわした。それじゃあ私とおんなじだ。」(p.145)

 

 

次に、紺の感情について。この小説は、笑子と睦月の一人称が交互に語られるから、紺についてはあまり語られない。でも、いつも飄々として捉えどころのない彼は、睦月の結婚について、何も思っていないのではないか?とも感じられた。だけど、終盤の彼の台詞で、そうではなかったのだと分かる。

 

 

「『睦月、笑子ちゃん抱いてみたら』さりげない風ではあったけれど、声にずいぶん本気がこめられていた。…紺はまじめな目をして僕をみる。『やってみたこと、ないんだろ』」(p.96)

 

「そんな風に追い詰めるんなら、睦月は笑子ちゃんと結婚なんかするんじゃなかったんだよ」

 

紺の心情が語られないので、この場面は本当にびっくりした。これを聞いて、睦月は始めて紺も追い詰めていたことに気がつく。(え、本当に言ってる?遅すぎない?)結婚については2人で話し合われたのではなかったのか、理由があったのではないのか。紺は納得したのではないのか?そうでなければ、「誠実」を大事にするはずの睦月が、紺という恋人がいながら、何故笑子と結婚したんだろう?

 

 これについては、まだ保留にします。だけど、最後、笑子の「白い指の感触」を意識している睦月のシーンは、2人の関係が変化する可能性を持っているんじゃないかなあ。

いずれにせよ、睦月には笑子も紺も必要なのだ。「She’s got a way........But I know that I can’t live without her」なんだもん。

2人に誠実でいようとして、一番身勝手なんだ。

 

 

きらきらひかる

 この作品には、「星」がキーワードとしてちりばめられている。

・寝る前に星を眺めるのが睦月の習慣(p.9)

・笑子が睦月にあげた望遠鏡

・紺がくれた夜空の絵

 

「望遠鏡を通してみる夜空はきちんとトリミングされている。まるく切りとられた宇宙に、無数の星がきらめいているのだ」(p.35)


「私は、世の中というのはまったくよくできていない、と思った。都会の空にこそ星が必要で、睦月のような人にこそ女が必要なのに。私みたいな女じゃなくて、もっとちゃんとした女が。(p.55)」

 

そして、それに関連するのが「宇宙」である。紺は、老人たちを「宇宙的だよね」と表現している。

 これらに共通するのは、「不安」だと思う。宇宙についての話題、結構みんな好きだよね。私は苦手です。宇宙なんて果てしなくて、何万光年なんて想像できないし、暗くて怖くて生きていけない。100年も生きられない人間なのに、そんなこと考えてどうするの?って思ってしまう。あと、子どものとき考えてた「死の恐怖」もあると思う。死んだらどうなるんだろう?「あの世」はあるのかな、あったとしたら、太陽が爆発して、地球がなくなっちゃったらどうなるんだろう?

うーん、今でもちょっと怖いな。

 宇宙ほどじゃないけど、睦月の担当している老人たちも、老いや死を連想してしまう。本当に自分もこうなってしまうのか?って。そして、はかとない寂しさや侘しさ…。


また、毎日夜空を見る睦月と違って、笑子はあまり好きではないように思う。

 

「行けない星になんて、興味ない」

「弱々しいのね。」


 都会から見える星たちは、とても弱々しくて、平凡な例えだけど、登場人物たちに重ねてしまう。形容しがたい不安の中で、きらきらとひかる星たち。それに、星は地上からは同じように見えるけど、一つ一つ違うものだ。笑子や睦月、紺も一人一人違う他人で(江國香織に言わせると「人は皆天涯孤独」)、人の在りようをどうこう言う筋合いなんてない。

 彼らはマンションの一部屋という小さい完璧な空間の中で、自由に生きている。

 

 

 このあたりで一旦筆をおきます。違う作品でエネルギーを浴びちゃって、まともにものを考えられなくって…。またしばらくしたら続きを書くかも。